
南極大陸に「高木岬(Takaki Promontory)」という岬があります。1959年、イギリスの南極地名委員会が、ビタミン研究の先駆者たちを称えて名付けた地名のひとつです。そこに名を刻まれた唯一の日本人——それが高木兼寛(たかき かねひろ)です。
「誰?」と思った方こそ、ぜひこの動画を観てほしいのです。
▶ 【須く、一歩進む】のニュース(YouTube)
毎年、若者が数千人単位で倒れていった
明治の日本を襲った国民病「脚気(かっけ)」。今ではビタミンB1不足が原因だと誰もが知っていますが、当時は「ビタミン」という概念すら存在しません。海軍では乗組員の3〜4割が倒れる艦もあり、まさに国家の危機でした。
海軍軍医だった高木は、患者を徹底的に観察し、「原因は食事にある」という仮説にたどり着きます。細菌学が全盛の時代に、です。彼は白米中心の兵食を麦飯と洋食に切り替えるという大胆な改革を断行し、練習船の遠洋航海で食事を変えた比較実験まで行いました。結果、海軍の脚気は劇的に減少します。
しかし、この「食事原因説」は当時の医学界の主流から嘲笑され、陸軍は白米食を続けました。その帰結として、日露戦争で陸軍は膨大な脚気患者と死者を出すことになります。
正しかったのに、認められなかった。この悲劇性こそが、高木兼寛という人物のドラマなのです。
「病気を診ずして病人を診よ」
高木はもうひとつ、大きなものを日本に遺しました。私の母校・東京慈恵会医科大学です。高木は1881年にその源流となる医学校を創設し、「病気を診ずして病人を診よ」という言葉を掲げました。病名ではなく、目の前の人間を診る。140年以上前の言葉が、データとAIの時代の医療にそのまま通用することに、卒業生の一人として今も背筋が伸びる思いがします。
東京公演を観てきました
この演劇、私も東京公演で実際に観ました。教科書の数行でしか語られない人物が、舞台の上で悩み、闘い、生きている。観終わったあと、「この人のことをもっと多くの人に知ってほしい」と心から思いました。
その舞台がYouTubeで観られます。歴史好きの方はもちろん、医療に携わる方、「正しいことが通らない組織」に心当たりのあるすべての社会人に刺さるはずです。
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