2018年8月14日、私はギラン・バレー症候群になった

 2018年8月14日の朝

この日、いつものように起床した私を襲ったのは突然の左下肢の麻痺でした。医師である私はただならぬ異変を感じ、家族に救急車を呼んでもらい入院しましたが、自分の身に何が起こったか分からないまま、その日のうちに意識を失ってしまいました。

次に目が覚めたのは、およそ4カ月後。人工呼吸器で息をし、四肢の麻痺で手足どころか首も動かず、目しか動かせない自分がいました。

重度のギラン・バレー症候群でした。

この病気は、末梢神経を標的とする自己免疫疾患と考えられています。本来なら体を守るはずの免疫系が、誤って自分自身を攻撃してしまう病気です。「脱髄型」と「軸索型」の2つのタイプがあり、私は後者に類型されるとのことでした。免疫系の攻撃で神経の本体である軸索に異常が発生、信号伝達に問題が起きることで、麻痺が起こってしまうというわけです。

一般的にアジア圏では症状の重い軸索型の割合が高いそうですが、私はその中でもかなり重い部類だったようです。患者により麻痺の程度や箇所は変わってくるわけですが、私は全身麻痺になり呼吸もままならなくなって、人工呼吸器をつけるほどの状態でした。患者さんのうち10%〜30%の割合だそうです。呼吸器をつける処置が遅かったら、命を落としていたかもしれません。

ギラン・バレーを発症したらどうなるか

ギラン・バレー症候群の疾患経過

ギラン・バレー症候群の疾患経過(イメージ)

そんなわけで、当時の私はかなり予断を許さない状況だったようです。主治医の先生や医療介護スタッフ、家族や周りの方々の迅速な治療とサポートがなければ、今こうしていることはなかったでしょう。

他方、ギラン・バレー症候群という病気は、他の疾患とは発症後の経緯が異なり、発症当初が最も重篤であり、そこから徐々に回復していきます。私の場合も、意識が回復してから1年半近くかかりましたが人工呼吸器が取れ、少しずつ病状が回復しはじめました。

最初は、声を出せるようになりました。当初は発音自体がたどたどしく、なかなか言葉が伝わりませんでしたが、今はゆっくりではあるものの自分の意思を相手に伝えられるようになりました。四肢麻痺も徐々に改善し、 腕も肘も上がるようになってきました。指はまだわずかしか動きませんが、徐々に可動範囲が広くなってきています。最近は電動車椅子を導入して、外での活動も行えるようになってきました。

このホームページもそうですが、みなさんのサポートやアクセシビリティと呼ばれるデジタル機器のアシスト機能により、まだまだ発症前に比べれば時間がかかる状態ではありますが、論文執筆や講演など、仕事も再開できています。

医師、患者、障がい者として

私は医師ですが、この病気を発症し患者となり、さらにいまも毎日リハビリを行う障がい者という立場にもなりました。こうした境遇を「得た」ことで、これまで決して知ることのなかった患者さんや障がい者の皆さんの困難な状況を、身をもって体験することになったのです。

意識が回復した直後は眼球を少し動かせるだけでしたので、周りの人たちに何をして欲しいか意思表示が行えず、また分かってもらえず、辛い思いをしたことも多々ありました。しかもその「辛い思い」すら伝えることができず、ただただ動かない体を受け入れるしかなく、絶望を感じていたのです。死んでしまいたいと思ったことも、1回ではありません。

医師として、この体験を奇貨とし、体も動かず声も出せない難病患者さん、障がい者さんの想像を絶する辛さを代弁し、少しでもよい状況を生み出せるように取り組みたいと思っています。

コメント

  1. 澤田早稔 より:

    5年前に慈恵医大の3500台のスマホ導入について動画取材させていただいた者です。当時の動画コンテンツを5年間掲載続けさせていただきましたが、今年いっぱいで掲載終了させていただくお礼を、メールで差し上げたいと思っていました。検索していると先生がご病気になった状況を知るに至りました。しかも大変な状況にあった事を綴られているので、さらにびっくりです。当日何度かお伺いして、村上先生・井口先生・武田先生へのお声がけなど一切合切の段取りをつけていただきました事を思い返します。本当にありがとうございました。 コロナ禍の折、ほぼ在宅業務しておりますので、メールで失礼させていただき事お許し下さい。

タイトルとURLをコピーしました